近松の描いた真理

(2005年産経新聞連載7回目)


 近松門左衛門作『女殺油地獄』(1721)。
 手の付けようのないならず者の河内屋与兵衛が主人公。
 まだ親がかりの23才。親の金を使いたおし金策に困りはて、とうとう近所の油屋の気立てのいい奥さんのお吉を殺してしまう。
 お吉は3人の子持ちとはいえ、まだまだみずみずしい27才。悪たれの与兵衛に対しても偏見なしに、日頃から何かと世話を焼いていた。
 与兵衛はその旦那のいないスキをみはからって深夜、脇差を懐に、お吉のところに金の無心に行く。が、断られ、お吉の喉を短刀で突く。
 油の壺を倒しながら逃げ惑う瀕死のお吉。油に足をとられながらもとどめをさそうとする与兵衛。この殺しの場面が凄惨このうえない。
 先月の東京公演『女殺油地獄』で、私は『逮夜の段』を語った。お吉が殺されて35日の法要が行われた夜の場面だ。
 床盆がクルリと廻され会場の空気に触れる。いきなりお坊さんのお経から浄瑠璃が始まる。と、客席の雰囲気はまさに『固唾を飲む』という感じだった。
 お経が終ったあと、ヒョンなことから血染めの紙切れが見つかり、筆跡から与兵衛のものと判明。そこへ与兵衛が登場。
 実兄や叔父もあらわれて、他の物証も突き付けられ、行き詰まった与兵衛はとうとう罪を自白する。
 『一生不孝放埒の我なれ共…思へば20年来の不幸無法の悪業が魔王となって…』、と覚悟の大音を発し、『お吉殿殺し、金を取りしは河内屋与兵衛』から、最後の断末魔『南無阿弥陀仏!』の叫び。
 私はこの改心の叫喚を与兵衛になりきり、毎晩発声していたのだが、不思議なことに、『与兵衛、実はいい人間やったんちゃうか?』とも思えてきたのだ。何故もっと早い時期から周囲の大人たちが与兵衛に愛の笞を振るってやらなかったんや。
 そして、与兵衛の性格が根っからの悪人で単に粗暴な男だけやったら芝居にならないんちゃうか?とも考えた。
 人間皆、互いに相反する性格を心の中に共存させて生きているもの。近松の新しさは、登場人物を単に画一的に(悪者は悪者、善人は善人みたいに)描いてないことに尽きる。
 私は毎晩、近松の文章を肌身にジカに感じながら語っていて、その真理に到達したのだ。

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