まる猫の   

2006年5月6日

くぞ仕掛けたこのタイミング 人義太夫は現代人の愉悦たり得るか



5.4 豊竹英大夫
     義太夫教室発表会を聴いて



 豊竹英大夫主催の義太夫教室については、『英旅日記』でもその様子が伝えら れておりますし、参加されている方からもお話を聞いておりましたので、大体 の様子は察することが出来るのですが、私自身が生徒として参加しているわけ ではないので、本当の意味でその雰囲気を知る機会は今までありませんでした。

■文楽の底辺を広げ得るか
 「どのような分野にしろ、頂点から底辺まで、あらゆる層は不可分で一体であ るのだから、底辺層の厚みがそのまま頂点の拡大につながるである。野球で言 えば、子供の草野球や会社の昼休みのキャッチボールがWBCの日本代表チーム の成功と無関係ではないと広い意味での野球人口が多い日本人なら直感的に理 解できるはず。
 文楽も同様であるのだから、英大夫の義太夫教室も文楽の発展 に大きな意義がある。」と、理屈で言うのは簡単なことですが、現実はなかな かの苦労があったのではないかとの思うのです。
 文楽に興味を持っておられる 方も多いことを考えると、初心者の方を相手にした、文楽に興味を持ってもら うための「義太夫教室」がある程度盛況になるのは想像できますが、「娯楽と しての義太夫教室」が果たして現代に成り立つのかという点に疑問と興味があ り、この点において、英大夫にとっても「義太夫教室」は大きな挑戦であった はずです。

 この挑戦が成功するか否かは英大夫の努力に依るところも大きいの ですが、何よりも生徒が義太夫を余暇の娯楽として楽しむかどうか、と言う点 に尽きるのだと思います。
 生徒個々人の時間のやりくりやお金の問題ももちろ んのことなのですが、それより重要なのは参加者自身の意識の問題で、英大夫 がいくら頑張ったところで生徒が着いてこなければ教室は成り立たないわけで す。
 娯楽としての義太夫のお稽古と言いますが、何かと忙しく、娯楽も多様化 している現代人にとって、義太夫のお稽古がどれほどの楽しみになるのかは未 知数であり、文楽が盛況であるからと言って、必ずしも義太夫のお稽古が娯楽 として成り立つとは言い切れない点に英大夫の不安と苦労があったのではなか ろうかと想像します。
 そして、義太夫にしろ何にしろ芸事は自己表現の最たる 物ですから、他人に聴いてもらう機会を持つことが大事なのであり、逆に言う と、そのためにお稽古をしているとも言えるのであって、お稽古事と「会」は 不可分であるはずです。そうであるなら、いくつかの細かい段階を経て、とに もかくにも「会」を開くことが出来た時点で大きな成果と言えます。

 文楽ファ ンとしては、どのような形であれ、素人義太夫の「会」を開くまでになった 「義太夫教室」の関係者全ての方に敬意を表したいと思います。この「会」が 開かれることが、文楽に良い影響を与えるのは疑うべくもありません。今回の 「豊竹英大夫 義太夫教室発表会」が開催されたと言うだけで、一つの大きな 成功と言えるでしょう。

■義太夫のお稽古が
  21世紀の娯楽となるか?

 しかし、この「会」そのものが成功するかどうかは問題ではないと言うわけで はありません。
 と言うのも、第一回目の今回の「会」が盛り上がらなければ、 次の「会」を開くのが難しくなるわけで、語る方、聴く方、全ての参加者に次 の「会」を期待させる「会」でなければ、本当に「会」が成功したとは言えな いのではないかと思うのです。
 実際に次の「会」が実現するかどうかは、あく まで先のことであり、そのときの事情で何とも言えないにしても、今回の「会」 が成功することで、義太夫のお稽古が現代でも娯楽として通用すると証明でき ますし、その志を継ぐ者が現れる契機にもなります。そして、今回の「会」が 成功するかどうかは、舞台に上がる生徒の皆さんの出来次第で、日頃の練習の 成果を存分に発揮してもらうしかありません。

 素人義太夫と言えば、聞こえが 悪いのですが、素人と言えども義太夫は義太夫ですから、玄人も素人も無いわ けですし、「会」と言うのは公に発表することがそもそもの眼目ですから、自 己満足を越えたところで、私のように「義太夫教室」に参加していない者にも、 それ相応の芸を見せて欲しいと考えるのは、無理のないことであると思います。
 とは言え、なにがしかの給金を頂いて語る文楽の太夫とは評価の基準は自ずと 違う訳で、「日頃の練習の成果」とか「相応の芸」などと言っても、観客が素 人義太夫に求めるのは「義太夫って、楽しいな!」と思わせてくれるかどうか の一点のみ。
 大事なのは、まず皆さんが発表会の快い緊張を楽しむことで、そ れが観客側に伝わったら大成功です。全くの素人をどの段階まで引き上げるこ とができたのか、という英大夫の指導の成果も楽しみな要素の一つです。

 会場となったOCATの大阪市民学習センター講堂は、その名の通り、市民の生涯 学習に適した標準的な講堂ですが、OCAT自体が立地条件も良く、そこそこ新し く豪華な造りなので、最寄り駅から建物の玄関を通り会場まで、非常に贅沢な 気分にさせてくれます。
 義太夫が生涯学習として現代の市民の娯楽と成りうる のなら、このような会場もまた、現代の「会」に相応しいものではないかとも 思います。
 「英大夫の会」の会場と比べてもはるかに広い会場ですが、時間と 共に客席は埋まって行き、結構な盛況ぶりです。
 出演者は各自緊張の面もちの ようですが、観客の方も、これからどのようなことが行われるのか期待と不安 でそれなりに緊張を感じます。徳島の人形浄瑠璃や各地の村芝居や農村歌舞伎 が残っている地域とは違い、大阪では素人が義太夫を他人に聴かせるというよ うな大胆な会など無くなって久しいですから、床に上がる方ももちろんのこと ながら、それを聴く方にとっても初めての事件でもあるわけです。午後一時に なると幕が開き、いよいよ開演です。

■こども歌舞伎からの連想
  ポストモダンの方向性?

 最初に出てこられた伊藤さんの語る「いろは送り」や次の壷田さんの「お里の サワリ」などは大したもので、流石は長浜子供歌舞伎の語り手だけあって立派 な語りです。
 以前にNHKBSで「ふるさと歌舞伎フェスティバル」と言うような 感じのタイトルでNHKホールの公演を中継してましたが、長浜であったかどう かまでは覚えていないものの、その中継の中に子供歌舞伎もいくつかありまし た。
 現代の価値観で言えば、子供が演じるのには相応しくないような内容も多 数あると考えることも出来るわけですが、世話物にしろ時代物にしろ、子供が 大人の事情や心情を演じると言うような、やや倒錯的な趣向の中に、自然と人 間を不可分に捉えていた古き良き時代の日本人の心情や大らかさがない交ぜに なり、そこに子供らしい華やかさと愛らしさが同居した、真に結構なものでし た。
 理屈では子供に『廓文章』を演じさせ楽しむというようなことを批判する のは簡単ですが、各地の子供歌舞伎を観ていますと、そのような薄っぺらい批 判などは寄せ付けない存在感と輝きを感じます。懐古趣味や保存会と言った形 ではなく、現代日本人が自分の役割として、大人も子供も地域社会に積極的に 参加し、責任を果たすと言うよりは、楽しんでいると言うところに感銘を受け たものでした。

 ポストモダンなどと言う言葉が現れてからも随分経ちますが、 長浜子供歌舞伎のように、日本各地に残っているふるさと歌舞伎や人形浄瑠璃 などを観ていると、日本の近代合理化以前のこのようなお芝居を通しての人と 人との繋がりや地域共同体のあり方に、日本のポストモダンのひとつの方向性 が見えてくるのではないかと感じます。
 そのような長浜子供歌舞伎の語り手が 難波OCATで義太夫を語るというのは、嬉しくもありどこか可笑しくもあるので すが、いずれにしても、このお二人の語りで会の幕を開くというのは良い趣向 と言えるでしょう。

■25人の強者が勢揃い!
  「素人義太夫」いま よみがえる

 今回の演目は「いろは送り」「お里のクドキ」「酒屋のク ドキ」「忠信物語」の四つですが、「いろは送り」と「お里のクドキ」が大半 を占めますので、冒頭のこのお二人の模範的で味わいのある語りは、聴く方に も語る方にも良い指針となり、「会」の大成功を予感させる良い語りでした。

 以降、上記四演目が繰り返し続くわけですが、二十五人の太夫それぞれに個性 があり楽しませてくれます。
 体の大きい男性は、やはり立派な声を出されます し、女性の語るクドキには、男性では表現し得ない色気があります。驚くほど 音遣いに秀でた方もおられたりして、最後まで飽きさせません。
 義太夫という のは結構な娯楽で、音楽的にも内容的にも聴く方に緊張を強いる部分が少なか らずあり、そこが義太夫の楽しみでもあります。しかし、今回の「会」におい ては、一つ一つは短いとは言え、これが二十五も続くというのは落語の『寝床』 のような不測の事態が起こるのではないかと不安にさせる要素も少なからずあ るわけで、あの義太夫の大層な芸に接した経験がある方なら理解できることで しょう。

 落語に描かれている素人義太夫は誇張が随分と入って笑いとして成立 しており、うかうかと「会」にでも顔を出したら生きて帰れないくらいの害毒 として描かれ、「会」などは義太夫を聴かせたいという大店の主のエゴの象徴 のように描かれているわけですが、その誇張に現実性を持たせるだけの負の力 が素人義太夫にはあると考えられていたのでしょう。
 そんな不愉快と言いつつ も笑えるところもまた、素人義太夫の会の楽しみで、それだけ庶民に浸透して いたとも言えるのでしょうが、残念なことに現代では文句を言うほど「会」 が開かれているわけでもなく、私にしても喜んで聴きに寄せてもらったくらい で、こんな「会」がもっと開かれて欲しいと願うばかりです。
 が、それはそれ として置いておくとして、やはり現代に於いて、二十五人もの剛の者が義太夫 を聴かせようという「会」です。複雑に付けられた節を複雑に外して回るとい う要素も少なからずあり、太夫が真剣であればあるほど、それはそれで楽しい 気持ちにさせてくれるものの、聴き疲れするのも事実です。

■緊張をほぐす工夫も秀逸
 そこで、途中、 『お楽しみ』として、安藤さんの落語と川上さんの歌舞伎役者の形態模写があ り、十分に趣向も凝らされて楽しませてくれます。
 安藤さんの落語は素人とは 思えないくらいお上手で、義太夫で凝った肩をほぐしてくれます。流れるよう な口捌き、言葉に澱みもなく、舞台上の品格もなかなかで聴いていて気持ちの 良いものです。『色事根問』という演目も「会」の流れや客層にあっているよ うにも思え、かなり楽しめました。
 あそこで落語が入っているのといないのと では、「会」の印象も随分と違ってきたはずです。あの落語がなければ、三時 間半の長丁場、聴き手の側に何かが起こったかもしれない、と冗談の一つでも 言いたくなるような結構な高座でした。
 川上さんの歌舞伎役者の形態模写はお 芝居に対する愛情に溢れていて、これもまたすばらしいものです。川上さんの 結構な形態模写を観ていますと、お芝居の楽しみ方というのは本来こうでなけ ればいけないのではないかと思うのです。
 というのも、長浜子供歌舞伎をはじ めとするふるさと歌舞伎や人形浄瑠璃にしてもそうなのですが、演じる側と観 る側とが不可分一体であるというのは、お芝居の本来の楽しみ方ではないかと 思うのです。

■歌舞伎役者の形態模写に思う
  演者と観者の垣根を越えてみて…

 先にも述べたように、草野球あってこそのプロ野球であり、自ら もプレーヤーであるからこそ、プロ野球選手はスターであり得るわけです。実 際にどの程度、自らがプレーするのは別問題ですが、少なくとも自らがグラン ドに立つくらいの気構えでスポーツ観戦は楽しむのが本当のところだと思うの です。
 お芝居にしても同様で、大阪には文楽劇場や松竹座など、結構な芝居小 屋もあり、興行の水準はふるさと歌舞伎や人形浄瑠璃に比べて遙かに高いので すが、大都会であるが故に地域共同体における人との繋がりの希薄さから、皆 で芝居を拵えて楽しもうというような機会は皆無と言えるのではないかと思う のです。
 演じる側と観る側がきっちりと分けられており、素人と玄人の区別は 明確です。
 農業を中心とした地域共同体では、自然に対する営み故、潅漑など の仕事を地域共同体全体で取り組んだということで、その延長で祭りやお芝居 など娯楽も皆で楽しんだのでしょうし、そこには観る側と演じる側の明確な区 別などあり得ないわけです。

 大阪が都会であると言うこと自体は悪いことでは ないですし、演じる側の水準が高いからこそ、観る側も安心して気楽に観るこ とに徹することが出来るわけで、逆に言うとお金を払って観るだけだからこそ 文句は何とでも言えるわけで、お金をもらっている以上はそのようなうるさい 客を納得させなければいけず、このようなうるさ型が演じる側の水準を引き上 げると言うこともあるわけです。
 歌舞伎の方ではこのような客のあり方を「観 巧者」と言うのだと歌舞伎エッセイストの船木浩司さんに教えていただいたの ですが、これはこれで都会の芝居小屋のあり方かな、とも思いますし、私も是 非とも「観巧者」でありたいと思うのですが、それにしても、かつては大阪で も義太夫のお稽古が流行り、各地で「会」も頻繁に催されたということを考え ますと現在の状況は寂しい限りです。
 川上さんのように芸達者な方を観ていま すと、このような方を観る側に閉じこめておくのはもったいないと思うわけで、 今回の舞台に是非とも「お楽しみ」として上がりなさいと勧めた英大夫はやは り見る目のある立派な太夫だなとも感じます。
 演じる側と観る側の区別をあえ て曖昧にするという楽しみを川上さんの形態模写は教えてくれるようです。そ もそもこの「義太夫教室」自体が聴く側を語る側に回らせるという試みだった わけで、二十五人の語りの間に、このお二人の芸を楽しむという趣向は無理の ない自然な演出でもあるわけです。

■25人一体としての力
 そして、英大夫も床で語るところもあり、 やはり玄人は大したものだと、改めて感じさせてくれると同時に、これもまた、 素人と玄人をあえて区別しない安藤さんの落語や川上さんの形態模写に通じる ところもあり、英大夫ほどの方が素人の方と肩を並べて語ってくれてこそです。
 英大夫のこの教室への意気込みと、文楽と義太夫をもっと楽しんでもらいたい という熱い思いが伝わってきます。
 そして何よりも様々な技量の二十五人です が、舞台に向かう真摯な取り組みの姿勢はどなたからも感じられ、義太夫の上 手下手に関係なく、義太夫に真摯に取り組んだこと自体が聴くものに対して、 義太夫の面白さを伝えてくれます。
 この「会」の主役はこの二十五人ですが、 それぞれがそれぞれの個性と技量をを発揮して、二十五人一体として見れば、 これ以上にない最高のパフォーマンスであったと思います。大当たりの「会」 でした。

■団吾さんの三味線が凄い!
   200分耐久レース

 そして特筆すべきは、この剛の者二十五人の三味線を三時間半にわたって弾き 続けた竹澤団吾さんです。
 この方がやる気を出さなければ、そもそもこの「会」 は成り立たなかったわけですが、それにしても、三時間半にもわたって引き続け るというのは、それ自体が感動ものです。
 太夫にしても、声に限度があり、何 時間も続けて語ることは難しいのでしょうし、太夫と三味線は違うとは言え、 三味線にも連続で弾き続ける限度というものがあるはずです。ご本人のお考え はともかくとしても、素人目には超人的なわざとしか言いようがありません。

 もともと文楽の太棹の音が好きで、生でなら何時間も聴いていたいくらいのの ものですし、団吾さんの弾く太棹の音も好きであれば、現代的な男前ながら床 での飄々とした姿は如何にも文楽の三味線という風情があって、観ているだけ で楽しいわけですが、それにしてもあれだけ弾き続けるという文楽の三味線弾 きの能力を間近で観ることが出来たと言うことだけでも、今回の「会」に足を 運んだ値打ちがあるというものです。
 二十五人の剛の者に三時間半にわたって追 いつめられて集中力を切らしてしまうと思いきや、最後まで底を見せませんで した。
 二本の三味線を交互に使い回し、後半になるほど調律に苦労されつつも、 二十五人の太夫それぞれの息と間を計って、一撥一撥丁寧に音を紡いでいく様 は、やはり文楽の三味線。

■団吾さんの人柄に触れる
   言葉なくしてバチの音で

 国立文楽劇場での厳しい表情とは違った柔和なお顔 で、時には優しく、時には鼓舞するように語らせてゆく様子を三時間半にわたっ てたっぷりと楽しませてもらい、その太棹の音色と共に至福の時を味わいまし た。
 一つ一つは割合と短いとは言え、二十五人を三時間半にもわたって語らせる というのは、それだけでも十分な芸でありエンターテインメントです。
 耐久レ ースなどという言い方もしますが、さながら義太夫三味線耐久レースと言った 趣で、次から次へと現れる二十五人の太夫を次から次へと淡々と捌いてゆく格 好良さ。
 このような素晴らしい三味線のエンターテインメントは初めて見させ てもらいました。三時間半にわたって、じっくりと団吾さんの様子を観察させて もらって感じたことですが、太夫をいかにして上手に語らせるかと言う文楽の 三味線のお仕事は、その手の技はもちろんのこと、曲の解釈のみならず、語る 太夫の体調や思考にまで行き届かなければならず、そうとうな知性と根気と優 しさが必要とされるのだろうと思うのです。
 それには普段のお稽古はもちろん のこと、日常生活の態度や人間性なども大事なわけで、そういった成果が三味 線の音色に現れ、太夫の語りに影響するのだと思います。
 だとすれば、今回の 「会」の成功は団吾さんの貢献も大きいと言えるでしょう。また、語っている 太夫は、団吾さんに「チン」と受けてもらったり、語らせてもらったりする快 感を味わえたのではないかと思います。
 そしてなによりも、二十五人のそれぞ れの太夫に合わせて、温かく見守り、最高の語りを引き出そうとする団吾さん の人間性に、言葉無くして三味線を通して触れるというところに、義太夫の面 白さと素晴らしさを感じました。団吾さんのこれからの活躍にますます期待し たいと思います。

■団七師匠 特別出演
   洒脱さ、弾き語りの正確さ

 二十五人が語り終わった後、何と竹澤団七師匠がゲスト出演。お弟子さんの団 吾さんにしてもそうなのですが、三味線の方の人柄に触れる機会というのは少 ないもので、団七さんがどのような方かを知る機会はあまりありませんでした。
 あのクラスの方になるとさぞかし厳しい方なのかと思いきやとても柔和な雰囲 気で、そばにいるだけで周りの空気が和みます。
 文楽劇場でその三味線には何 度も感動させられたものですが、生でお喋りを聞くのは初めてのこと。そのお 喋りから物腰や身なりまで、全ての点で粋で洗練されており、我々の世代では どう頑張っても太刀打ちできない洒脱さがあり、そのお人柄や雰囲気を身近に 感じるだけでも値打ちものなのですが、三味線を使ってお染のクドキの弾き語 りを披露してくださいました。これが絶品なんですね。

 三味線の音色はもちろ んの事ながら、驚いたのはその語り。
 よく通るきれいな声で、正確な音遣いと 息と間、無駄のない贅肉を削ぎ落とした骨格だけの義太夫がそこにあり、義太 夫というものが本当に良くできた美しい音曲であると感じさせてくれます。こ れだけの美しい義太夫は初めてです。
 団七さんが三味線を弾いているのか、三 味線が団七さんに語らせているのか、こうなると全く区別が付きません。
 団七さんと三味線が一体になって楽器として音を奏でている不思議な感覚にとらわ れます。声量はもちろん、太夫にかなわないわけですが、義太夫において正確 な音というのが如何に大事かと言うことを感じさせてくれ、正確であると言う ことは如何に美しいかということまで教えてくれるのです。
 各種インタビュー や番組で英大夫が「決まり事を覚えていくことで精一杯で、自分独自の解釈な ど先の話」というような趣旨で発言されており、これほどのキャリアの方でも 基本を身につける段階を越えていないのだなと驚き、義太夫というのは複雑な ものなのだなと感じたものですが、団七さんの弾き語りを聴いているとその意 味が分かるような気がします。
 もっとも、文楽劇場のような大きな器で語る太 夫の技術と団七さんの弾き語りとは同じにならないのでしょうが、曲想を正確 に把握し表現するというのは相当に修行を要することであり、それだけの複雑 なものを事も無駄や力み無く大きく表現することの快感というのが義太夫の面 白さであろうかと思います。
 団七さんの弾き語りは、劇場でないからこそ出来 るのであり、文楽の太夫のように大きく表現する必要がないからこそ、あのよ うに美しくまとめることが出来るのでしょうが、団七さんの弾き語りを聴いて いますと、語りの核心に触れたような気がします。
 そして、文楽の太夫はあの ような方の隣で語り、観客に対して大きく表現することを要求される訳ですか ら、並大抵のことではありません。団七さんと言い、団吾さんと言い、文楽の 三味線の底知れぬ力量と面白さを感じさせてくれます。
 団七さんと団吾さんの ちょっとしたやりとりも、師弟関係をのぞき見る面白さがあり楽しませてもら いました。

■新しい試みにフィット
   桂あさ吉 多国語らくご(RAKUGO)

 最後に桂あさ吉さんの英語落語があり、各種小話を英訳したものや韓国語落語 なども披露され笑わせていただきました。
 英語落語は枝雀さんが始めたもので すが、最近では取り組む方も多くなり、落語を外国の方に楽しんでもらうとい う試みも定着してきたようで嬉しい限りです。短い時間でしたが、日本のみな らず、一人でも多くの世界の方に落語を楽しんでもらおうという志と、落語を 外国語に翻訳する作業の難しさや面白さを感じさせてくれました。
 また、新し いことに挑戦していくという気風も、この義太夫教室にあっているのかとも感 じます。
 生徒の一人であるあさ吉さんも義太夫を語られましたが、やはり普段 から高座に上がっておられるだけあって、床の上でも見栄えがしますし華もあ り、堂々とした語りでもありました。
 義太夫の方は割と早めの当番でしたが、 やや堅かった会場の雰囲気をあさ吉さんと団吾さんがほぐしてくれた感じもあ り、落語家さんは雰囲気作りが上手であると感心させられます。これも心配り の一つなのでしょうね。
 また好きな落語家さんが増えて、これもこの「会」に 来た収穫の一つかと思います。あさ吉さんの今後のご活躍にも注目していきた いと思います。

■連綿と続く手習いの伝統
   大阪の街並みを偲びつつ

 考えてみますと、私が子供の頃は、書道でもそろばん塾でも先生の自宅が稽古 場であるというのが普通でしたし、落語などに描かれている稽古場の様子とい うのも普通の民家が中心です。
 天六にある「大阪くらしの今昔館(旧住まいの ミュージアム)」には江戸時代の街並みをそのまま再現してあり、その裏長屋 に義太夫のお師匠さんの家があります。
 いわゆる長屋には違いなく、造りも他 の長屋と同じなのですが、芸事のお師匠さんのお家だけあって、調度品や佇ま いに風雅なところがあり、落語『胴乱の幸助』や『猫の忠信』などに描かれて いる稽古屋の様子が再現されています。
 今時、そのようにお師匠さんの自宅に 通うというのは考えにくいわけで、公共スペースを借りて稽古をするというの が、お互いに都合の良い面も多かろうと思います。
 しかし、師匠についてお稽 古事を楽しむというのは今も昔も変わりないのですし、「豊竹英大夫の義太夫 教室」も恐らく英大夫が師匠や先輩方から受けてきた教えが基礎になっている はずで、その英大夫の師匠も、その師匠や先輩方から同じような教えを受けて いたのであろうと考えると、結局、やっているいことは昔から変わりないわけ です。

■よくぞ仕掛けた、このタイミング
   第1回に続き、次の成功を!

 しかし、場所やその存在意義そのものが変わってくることにより、消滅 したり、復活したりもするわけで、大阪においてはあれだけ流行した義太夫の お稽古というものも皆無に等しくなり、義太夫は文楽劇場の中だけに残りまし た。
 これは何も劇場側に怠慢があったわけではなく、時代の流れだったのでし ょう。義太夫のお稽古のみならず、そもそも文楽の存続すら危ぶまれていた時 期が長かった訳ですから、生き残りに精一杯の努力をしていただいた先輩方を この点において責めるのは筋違いというものです。
 むしろ、苦しい中でも存続 に力を尽くし、今日の隆盛の基礎を作ってくれた先輩に対して感謝をし、今後 の文楽のさらなる発展のために何が出来るのかを技芸員それぞれが模索するべ きなのでしょう。
 そう言った各種の模索の中で「豊竹英大夫の義太夫教室」が 生まれたのだと思います。そして、今回の「会」の大当たりという一つの成果 を得ることが出来ました。
 この「会」の成功は生徒の皆さんの努力もさること ながら、主催者の英大夫の力量と才覚に依るところが当然に大きいと思われま す。
 仕掛ける時期を間違えば、義太夫のお稽古が今時の娯楽や道楽などにはな らないと言う証明をするようなものです。これでは次の芽を摘んでしまうこと にも成りかねないわけですが、一歩踏み込んでみる勇気がなければ、新しいこ とを試みることは出来ず、先輩方の努力にさらに上乗せできれば良いが、人気 がないことを証明してしまうということになりかねないところに、英大夫の苦 悩はあったと思うのです。
 現代的な生活様式にあわせた娯楽や道楽としての義 太夫教室という発想は文楽の太夫ならどなたでも考えつくことなのでしょうが、 これがボランティアであれ商業的であれ成功を収めるかどうかの確信は、この 「会」が終わるまでは誰にも無かったはずです。

■ここ数年の文楽人気
   先人の苦労の上に新時代を!

 「底辺の拡大云々が頂点の云 々」と理屈を述べるのは簡単なのですが、仕掛けるタイミングも大きな問題で した。
 実際、ここ数年の文楽人気がなければ、どなたが仕掛けても不発に終わ った可能性も大きいのだろうと思います。その点を考慮しても大きな冒険では ありましたが、英大夫はその努力と才覚で義太夫教室を仕掛けたわけです。
 そして、「会」を成功させるという形で、英大夫は娯楽や道楽としての義太夫の お稽古が現代にも成り立つと言うことを証明しました。
 願わくばこの「会」が 次に続き、それぞれの個性と技量にあわせて、より多くの演目が語られ、この ような娯楽や道楽としての義太夫のお稽古が色々な方によって主催されて、様 々な個性の「会」が催されればと思います。
 より現代的に変化しながらも、落 語の『寝床』『軒づけ』などの時代のように、呼ばれる方が迷惑を被るくらい 頻繁に「会」が開催されたり、聴かせたいがために他人の軒先で良い大人が迷 惑を顧みず義太夫を語るくらい熱心な稽古人が増えればと思います。

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