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重なり合う時の彼方へ  −2008年1月−


この冬、芳しくないことで文楽を取り巻く状況が取り沙汰された。
思うことは、真実だけが残る。
弱い人間同士の、血よりも濃い繋がりの中で、彼らの時が紡がれる。
10年後、20年後には、何を受け継ぐであろうか。永遠の前に、私たちの時はあまりにも短い。
その時の中に彼等の築き上げるものを、見届けていきたい。

 森田美芽

 この冬、久しぶりの寒風の中で、文楽を見ることができる、その幸いをつくづくと感じた。文楽を見ることが、私にとって日常であり、反復としての現実であること、また文楽と共に生きてきたこの12年の時間が、ある豊かな満ち溢れのように迫ってくるのを感じずにおれなかった。繰り返し見ている、その舞台の楽しさ、輝き。その中にまた新たな出会いが加えられた。
 『七福神宝入舩』
 清治の率いる三味線の表現の豊かさと楽しさ。その中を貫く一つの意志、明確な律動。その意志が舞台の隅々まで支配し、呂勢大夫をシンに若手の大夫たちの華やぐ声を導く。咲甫大夫の役を生かす豊かさや相子大夫の役への性格づけが明確で耳を惹きつける。さらに中堅の人形遣いたちの生き生きと楽しい遣い振り。玉女の寿老人が中心となって舞台に重しを与え、伸び伸びと遣わせながら踏み外させない。弁財天の清五郎の鷹揚でいやみのなさ、簑一郎の福禄寿の面白さ、勘市の恵比須のすっきりした清潔さなどが印象に残る。清馗の琵琶に似せた音色、龍爾の曲弾きと琴、寛太郎の胡弓も楽しめた。

『祇園祭礼信仰記』 
 「金閣寺の段」は津駒大夫、寛治。津駒大夫は雪姫を始め人物の印象が明確になった。
 「爪先鼠の段」は呂勢大夫、富助。後千歳大夫、喜一朗。両者とも健闘し、よく仕上げていると思った。ただ、これが全てではない、と思った。それがどこから来たか、明確には言いがたい。もっと成長する、というよりも、ここから舞台が未来に開けてゆくために、もう一つの何かがある、という印象を抱いた。
 人形では、和生ははんなりと美しい雪姫。縛られてからの姿もよいが、爪先で描いた鼠に魂が入るという奇瑞を感じさせるものへあと一歩というところか。松永大膳の玉輝は悪のスケールをもう一つ出してほしい。勘緑の鬼藤太は動きもきびきびと性根を感じさせる。
 やはり勘十郎の東吉、性根の変わり目の確かさに目を見張る。玉英の慶寿院の品ある風情に、初めてこの段を見た時の玉五郎が重なった。

『傾城恋飛脚』「新口村の段」
 睦大夫、清馗の、短いが丁寧な端場。嶋大夫、宗助、住大夫、錦糸の豪華なリレー。そして簑助、勘十郎、清之助の三者が舞台で作り出す、あの密度、あの静謐さ。これを前にしては沈黙するほかあるまい。雪の寒さ、その中で梅川、忠兵衛、孫右衛門の三人がぼうっと浮かび上がり、やがてわずかな光がその三人を押し包み、他のものが消えて行く・・・音も、声も消えて、また人形の動きも静止したかのように、時が穏かな光を放ってそこにあった。
 「新口村」は、本公演で出る機会は意外と少ない。鑑賞教室などで繰り返し見て、ある意味食傷気味とさえ思っていた。だが今回の舞台は、床、人形、その一体化した時間の中に、言葉にならないその静謐さが生まれ、静かに引き取ってゆく、そんな言い方しかできない何かを感じずにはおれなかった。
 代わって『国性爺合戦』は動のドラマである。
 「平戸浜伝いより唐土船の段」この場を一つの家族を巡る家庭悲劇としてのドラマを感じた。
 最初、小むつとともに貝拾いにいそしむ和藤内は、大団七の首がユーモラスな、平凡な庶民、しかし蛤と鴫の争いのあたりから、軍兵家としての性根が見え始め、栴檀皇女との出会いが、彼に決定的に一つのアイデンティティを目覚めさせる。こうした運びを無理なく納得させる勘十郎の確かな人物造形に改めて感嘆した。
 松香大夫、三輪大夫、津国大夫らの地力を感じ、また清介が率いることで、思いがけない舞台の変化とドラマを感じた。

 「千里が竹虎狩りの段」英大夫を始め、文字久大夫、南都大夫、文字栄大夫らに団七。こちらは見た目本位のようだが、力強さと気概を感じさせる。
 「楼門」風という意味を語りのうちに感じさせる咲大夫。見たこともない父との再会に驚き迫る思い、しかし立場の故に引き裂かれる思い、錦祥女の葛藤を見事に聞かせる。燕三のイキの、はっとするような鋭さ、力強さ、加えて大夫を底から支える響き。
 「甘輝館」綱大夫、清二郎。「口にくわえて唐猫や」に至るまでの甘輝の性根と、錦祥女と一官妻の義理の立て合いを説得力ある描き方。
 「紅流しより獅子が城の段」伊達大夫にかわり英大夫、清友。荒事の勢いと女二人の義理ある死という対照を描くしんどさを、英大夫がしっかりと聞かせる。
 勘十郎の和藤内と玉女の五常軍甘輝、両雄の顔合わせにふさわしい幕切れ。紋豊の気概ある、しかも母としての息使いを感じさせる老一官妻、遠く離れても祖国への思いを失わない気骨ある武士の風の玉也の老一官、文雀の錦祥女は妻としてより武家の奥方としての品位を重んじた遣い方。清三郎の小むつの、あの場で一人だけ違う、と意識させる鄙の女房ぶり。

 昨秋からこの新年、いくつもの訃報が届いた。1月の舞台に、その方々の在りし日が重なって見えた。
 竹本貴大夫。1997年11月の「国性爺合戦」の小むつ、あの衝撃をいまも忘れない。備中鍬を振り上げて栴檀皇女に迫る鄙の女、自分だけがただ一人、この中の部外者であり、一人置き去りにされるかもしれない不安、夫を目の前の異国の女に奪われるかもしれない悋気、そんな必死な思いが伝わってきた。詞を通して、それだけの思いが伝わってくる、義太夫の詞が、語られる者の生い立ち、立場、感情、そうしたものを自然に感じさせる力を持つことを示してくれた。
 たとえば、「野崎」の「あいたし小助」、この人の端場で、「あんだら臭い」「出にくいところからよう出た」といった大阪弁のニュアンスが、その場の絡み合いが、どれほど生き生きと感じられたことか。あるいは、これも廃業した弥三郎との、「本朝廿四孝・桔梗原」の口。複雑に絡み合った人と思いと事件の始まりを、底を割らずに、かつ人となりを的確に寸描する、中堅ならではの舞台・・・。「源平布引滝」の「かいな」、これを聞くことができなかったのが、つくづくと惜しまれる。
 誠実な、愚直なまでに義太夫節一筋の人だった。そうした生き方の中で積み重ねられてきた誠実さやひたむきな努力が、豊かな味わいを自然に感じさせるようになった、その矢先だった。痛ましいとしか言いようがない。

 勘十郎の和藤内を見て、その内から溢れるようなやんちゃな生命力を感じたのは、11年前の秋、初めて見た文吾のそれと重なった。
 吉田文吾。正統派の立役遣いであり、「菅原」なら松王、「熊谷陣屋」なら熊谷直実、「勧進帳」の弁慶、千本桜では忠信、そして11年前のあの時は、彼が和藤内を遣っていた。力感溢れる、それでいて憎めない愛嬌を持つ主人公の輝き。華のある立役であった。
 しかし忘れがたいのは、晩年に勤めた「心中宵庚申」の島田平右衛門、「摂州合邦辻」の合邦道心、「艶容女舞衣」の親宗岸といった、娘への思い溢れる父親像である。娘を愛するゆえの頑固、一徹、まっすぐに表現できない父親の照れのようなものも、思い出すことができる。弟子の文司、文哉たちの成長を期待させつつ逝ってしまった。紋寿との息の合ったコンビや年末の京阪文楽のことも忘れがたい。

 そして吉田玉幸。
 文吾の立役を「花」とすれば、玉幸のそれは「実」と言ってよい。年功を経た男だけが持つ、肚と貫禄、なんとも言えない渋み、そんな重みある立役を遣える第一人者であった。
 そして敵役が良くなければ主役も立たない、舞台の中で際立った存在感ある敵役が思い出される。たとえば「曽根崎心中」の九平次。「冥途の飛脚」八右衛門。この八右衛門は難しい、というより、この存在一つで忠兵衛の狂気が納得できるかできないかが変ってくる。
 時代物では「平家女護島」の瀬尾、「本朝廿四孝」の横蔵実は山本勘助。「忠臣蔵」なら加古川本蔵、「武辺」「智謀」といった時代物ならではの重みを一つ一つ感じる。
 「心中天網島」の舅五左衛門、悪人ではなく「にべもない昔人」、娘を思う父としての存在感をこれほど与えたのは彼だけである。
 晩年、筋肉が無力化する病に侵され、不遇な晩年だったかもしれない。子息であり一番弟子の幸助を立派な立役として育てることができたこともまた、かけがえのない遺産である。

 この冬、芳しくないことで文楽を取り巻く状況が取り沙汰された。思うことは、真実だけが残る。弱い人間同士の、血よりも濃い繋がりの中で、彼らの時が紡がれる。10年後、20年後には、何を受け継ぐであろうか。永遠の前に、私たちの時はあまりにも短い。その時の中に彼等の築き上げるものを、見届けていきたい。