■■いのちがけの芸■

(2005年産経新聞連載8回目 11/9web掲載)




 先月の末、桂吉朝さんの落語(国立文楽劇場)を聴いた。
 病気療養より復帰された吉朝さんのだしものは『弱法師(ヨロボシ)』。50分の長講一席。凄味がおました。
 精巧このうえない研ぎ澄まされた話運び。人情噺やのに時々、笑いが弾ける。病み上がりをも芸にしてしまう、あざやかな『間』を感じました。

 その終演後、私は翌々日に控えた素浄瑠璃会(国立劇場)の為、最終の新幹線に飛び乗り、東京へ向った。新幹線の中で、私はあの吉朝さんの芸の余韻に痺れ、眠れず、窓外の暗やみをヒタスラ凝視していた。
 吉朝さんの声、はじめ擦れていたが途中からだんだん腹(ハラ)にかかって(義太夫用語=力強くなって)きたがな…。
 『いのちがけの浄瑠璃』というのはあるけど、『命がけの落語』というのもあんねんなあ。
 高座が終った時の会場を埋めた観客のあの鳴りやまなかった拍手…。よっしゃ、僕も、明日の舞台稽古とあさっての本番、『いのちがけ』でやったろ、と窓に写る自分の顔に向って強く言い聞かせた。

 さて、素浄瑠璃会で私が語らせていただいたのは『絵本太功記・妙心寺の段』。
 この作品は文楽の立端場(タテハバ)のなかで、いちばんの体力と声量を必要とするもののひとつである。立端場とは、メーンの切場(キリバ)の前に位置する重要な場面のことで、この妙心寺を語っていて声を傷めないようではアカン、と故越路大夫師匠によく言われたものだが、案の定、本番が近づくにつれ、私の声は傷んできた。
 そのうえ、本公演では『口』から『奥』を続けて語ることはないのに、今回は『口』(物語りの発端の場)から通しての語りだったので、えらい神経を遣った。
 まず、舞台稽古で『命がけ』の意気込みで語ったが、ただやみくもに大声を出しただけで、作品のバランスを大きく崩したような感じがした。どうも納得がいかず、本番を迎えた朝、冷静に本読み(勉強)をし直した。
 こんどは、体力勝負にも情感にも、『命がけ』の気構えをこめて舞台にのぞんだ。
 はじめのうちはまさに、声はカスカスでしたが、なんとかこらえているうち、奥の場面の武智光秀が出てきたあたりから自分なりに腹(ハラ)にかかってきた感触が芽生え、声の方も最後の段切(芝居の終局の大団円)を迎える頃には不思議にひらいてきました。

 吉朝さんには感謝せんとあきまへんわ。
(この原稿は先週=11月はじめ=執筆・新聞社に入稿されていたものです)
吉朝さん逝去

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