北浜・花外楼浄瑠璃の感想 暗くなってゆく灯心を消すことなく
――素浄瑠璃「堀川猿廻しの段」

森田美芽


 北浜の花外楼から下を見ると、満々と水を湛えた大川の流れは碧に、午後の鈍い光を受けてたゆたう。向こうには青テントのダンボールハウスが立ち並ぶなか、公園の桜と薔薇が時を待っている。川の上の高速道路に、一つのリズムのような車の流れが続く。しかしガラス戸に隔てられた大広間には、街の喧騒は届かない。
 170年の歴史を持つ大阪屈指の名門料亭、花外楼の若女将、徳光正子氏はクリスチャンである。老舗の暖簾を守る責任の重さは、われわれの想像の及ぶところではない。しかし先祖から受け継いだものを守り伝えるという働きは、文楽の技芸員諸兄の日々の努力とも一致するのではないか。その徳光氏と英大夫の友情から、また一つ名舞台が生まれたことをここに記しておく。

 『近頃河原の達引』の「堀川猿廻しの段」。1782年江戸外記座初演。しかし作者ははっきりわからない。かつては人気曲であったというが、最近では2002年11月の国立文楽劇場で上演されているが、それほど頻度は多いとはいえない。私もそれほど注目はしていなかった。それは無知に他ならないと知らされた。
「堀川」は何より浄瑠璃として面白い。文楽で上演する時は、ともすれば視覚的な面白さにのみ目がいきがちであるが、それなしでも、というより、素浄瑠璃で初めてわかるその音楽的な見事さを思い知らされた。世話物としては、その日暮しの庶民の生活感情を生き生きと描き、わけても与次郎のキャラクターが魅力的である。「おもしろうてやがて哀し」の世界。
 冒頭、「同じ都」といいながら、貧しくわびしい堀川辺の、赤貧洗うがごとき暮らし。たそがれ時の薄日の残り、煙の臭い、生活の香りとでもいいたいようなその感覚が、清友の三味線で蘇ってくる。
 目の不自由な母がおつるに「鳥辺山」を指南する。これは武士と遊女の心中もので、愛らしいおつるの手と母の手の合奏を、清友と連れ弾きの団吾がこなす。

 与次郎が帰ってくる。母が病を嘆くのに対し、与次郎は母に心配をかけまいと大きなことを言う。その思いやり、笑いに紛らすやさしさ。おしゅんの登場。母と兄の妹への思い。だがおしゅんが思いつめていることは手に取るようにわかる。母と兄にこれ以上心配かけまいと退き状を書くふりをして書置きを書く。「しばしこの世を仮蒲団、薄き親子の契りやと、枕に伝ふ露涙、夢の浮世と諦めて、ふけゆく 鐘も哀れ添ふ」おしゅんの覚悟が伝わってくる。
 伝兵衛が訪ねてくる。与次郎が暗闇で余りに怯えて妹と伝兵衛を間違える滑稽さ。「屑が出るぞ屑が」「皆目おれはナニアノオ、祐筆ぢゃわい。」の呼吸の巧みさ。
 伝兵衛が書置きを読み、母と兄は全てを悟る。妹は死なせたくない。しかし妹は、たった一人の人のために、あえて共に死のうとする。伝兵衛もそれを止める。しかしおしゅんの決意は固い。ここでくどき「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん・・」「たっぷりと」の声がかかる。英大夫はここを美声家のように引っ張らず、むしろしっとりとおしゅんの思いがしみじみと溢れるような語りであった。

 母の思い。この「堀川」でも、娘を思う母の思いこそが最も大切な主題なのだ。娘を思えばこそ、「どうぞ逃れて下さりませ」と願う。ここを出れば心中するのはわかりきったこと、それと知りつつ娘を死出の旅にやる母の無念さ、悲しみ。与次郎もまた、はかないこととは思いつつも一縷の望みのように、編笠を与え、祝言の門出と猿廻しを演じる。涙を流すよりももっと答える幕切れである。
 再び団吾が連れ弾きに向かう。清友のいぶし銀の三味線、団吾のしなやかな音が、華やかにその場を盛り立てる。清友が導き、団吾が受ける。さらに語りかけ、変化を与える。あるいはユニゾンで、時に交替し、手を変えつつ高めていく、その呼吸、その応答の輻輳が、驚くべきスケールの音の世界を作り上げる。音の漸層法に身をゆだねる喜び。そのダイナミックさと巧みさ、様々な先行作品の旋律や飽きさせない多様な技巧と音使い、息の合った美しさと面白さ。おのずから拍手が沸いてきた。それは絶望の旅であるはずなのに、なぜか心がなごむ。「まさるめでたう、いつまでも、命まっとうしてたも」という母の言葉に集約される。
 この「堀川」で改めて知らされた、浄瑠璃の音の構成と詞章の構成の巧みさと出会い。無論、段切れに向けてのいくつかの布石、不吉な予兆を感じさせながら、与次郎というキャラクターの力で、不安は笑いに紛らわされる。笑いと泣きは表裏一体、泣かねばならぬ時こそ笑うのだ。それはどうしようもない不条理と絶望の日々に対抗する庶民の力であったに違いない。しかしそれだけではない。母、与次郎、おしゅん、伝兵衛、それぞれの思いが交錯する場としての浄瑠璃の力。英大夫にとって与次郎は素のままではまる役柄であるが、むしろ母の思いに耳を開かれた。おしゅんは言葉少なに、されど思いを秘めて。
 伝兵衛の人の良さ、覚悟の潔さ。それらの人物を描きつつ、なお音は迫ってくるように集約され、物語の起伏を明らかにし、そして心の底に入り込んで酔わせていく。私はいつしか全身で聞き入っていた。そこには人形の、特に勘十郎の与次郎も猿もいないのに、それが見えるようなというより、その言葉と音だけで十分なのだ。それ以上何もいらない。義太夫節とはこれほどまでに自己完結的な宇宙なのか。その場に居合わせたすべての人がそれに満たされた。英大夫の内なるその命の充溢が、その力において輝き出でていた。

 一段が終わる。太夫と三味線は深々と礼をし、姿を消す。だが私には、春の日の中にただよう思い残りがあった。それを何と名状することもできないような、深いところに突きつけられた鈍い刃のようなものが胸に残った。表現することは他者の深いところに切り込む行為であり、それを受けることはまた、その思いを共に痛みとして担うことでもある。私にとって義太夫節とは、そのように思いに突き刺さる何かをもたらす。私の文章は、それに形を与え、目指す方向を見出す、その作業にすぎない。大切なのは、彼らが受け継ぎ伝えようとしているものを万分の一でも正しくその意味を受け止め、理解しようとすることだと思う。
 浄瑠璃のあと、卓に置かれた早咲きの桜をめでつつ、花外楼の料理に舌鼓を打った。穏やかな光、静かな時の中で、何かに満たされまた何かに向かいつつある心を見出していた。

 「傷ついた葦を折ることなく 暗くなっていく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする」(旧約聖書 イザヤ書42章3節)
 主イエスは私たちのうちの傷を理解し、私たちのうちのわずかな光を見出し、それを絶やすことないよう助けられる。私は劇評を書こうととして自分の力不足を思うとき、いつもこの御言葉を思い出す。35年の修行を経てきた彼らにも、またその第一歩を踏み出したばかりの者をも、ともに支えて下さる方が、私たちにその意味を知らせると共に、終わりまで支えてくださることを信じる。「暗くなっていく灯心を消すことなく」彼らの手に置かれたその光を絶えず見出し続け、伝えるという働きをなし続けることができるように。